8/6 気仙沼市の三ヶ所に弦楽四重奏をお届けしました!!

8月6日、気仙沼市の三ヶ所(幼稚園と避難所)に弦楽四重奏で音楽をお届けしました。メンバーはヴァイオリンの斉藤千種・坪井きらら、ヴィオラの新井豊治、チェロの久保公人です。その中で、もっとも若手で今年の春に入団した坪井きららが感想を寄せてくれました。ご本人も秋田県の出身です。ぜひお読みください!!
    

―「法律相談」とのコラボで演奏!!―
宮城県気仙沼市にて、東京青年司法書士協議会の方々の現地での法律相談や心の相談の活動と共に、私たちは気仙沼市内の3か所で慰問コンサートを行いました。
 1回目は、愛耕幼稚園の敷地内に建つ、日本バプテスト気仙沼教会の礼拝堂で行い、2回目は小泉中学校の避難所となっている体育館で。3回目は、階上小学校の避難所となっている教室で演奏をさせて頂きました。


小泉中学校の体育館に集まってくれた避難所の皆さん



―校庭の仮設住宅と体育館の避難所―
小泉中学校の体育館では、今もまだ多くの方が暮らしており、校庭には93戸の仮設住宅が建ち並んでいました。階上小学校では、空き教室に数組の家族が同居し、食事は届けられたお弁当を食べる。そんな生活が、震災から5カ月が経とうとしている今もなお続いていました。
 私たちは、この様な状況の中で毎日を過ごされている方々に、音楽に触れる事で、一時でも日々の不安を忘れ 心労を癒し、楽しんで貰えたらと思い、心を込めて演奏をさせて頂きました。
集まって下さった皆様は、私たちの演奏に合わせて手拍子を打ったり、歌ったり笑ったり、楽しそうに聴いて下さり 和やかな時間を過ごされているようでした。しかし、私たちが帰った後も、彼らの避難生活は続き、被災した事実は消えないのだと思うと、自分の無力さを感じずにはいられませんでした。


街一番の「繁華街」に打ち上げられた船


―被災地の惨状には言葉もない―
車で会場から会場へと移動する間に、気仙沼市内の今を見せて頂きました。気仙沼の市街地は、重油タンクから漏れた重油に引火して火災が起き、焼け焦げた瓦礫の山が何度もメディアに取り上げられていたので、ある程度は想像もし 覚悟もしてはいたのですが、映像でしか見ていなかった光景を目の当たりにして、本当に 出てくる言葉は何もありませんでした。
 テレビ等で報道される以上の過酷な現実が広がり、ひっくり返った家屋、1階部分が鉄骨の柱以外は完全に無くなり 2階部分だけが残る建物、真黒に焼け焦げたバス、ぺしゃんこに潰された車、いまだ海水の引かない住宅地、沿岸部に近づくと、大部分の瓦礫が除けられ更地となった街の中に、第十八共徳丸の巨大な船体が津波の被害の甚大さを物語るように鎮座していました。震災直後からすると格段に復興が進んでいるとはいえ、それらの光景は、これから先も決して目にする事はないと思うほど凄絶なものでした。
 ほんの数百メートルの場所の違い、ほんの数メートルの高さの違いで、しっかりと残る街と、津波に押し潰され焼かれ瓦礫の山となった街。明暗を分けるその差は、僅か数センチだったかも知れないと思うと、その悔しさは察するに余りあるものがあります。


道の真ん中に流されてきたコンクリートの「箱」


―故郷、東北への思い―
そんな体験をされた被災地の人々に、音楽を届ける事が本当に励ましや癒しになるのか、気仙沼の街を実際に見て 正直 とても不安になりました。東北の人間は忍耐強く、口下手な部分はあっても心根の優しい人が多いと感じています。多くは語らないけれど、相手を喜ばせようと心を尽くすような気質から、わざわざ東京から来てくれたのだから聴いてみようかと集まって下さった方々に、私はどれだけ心に響く音楽を届ける事ができたのだろうかと、今も自分の中に少なからず疑問が残ります。
 それでも、演奏終了後 口々に『来てくれてありがとう』『とても楽しかった』『もっとたくさんの人に聴かせたかった』と仰って下さる皆さんの言葉一つ一つに、私自身がむしろ救われる思いでした。
 このような現実に身をおかれている方々に、私たち音楽家が出来る事は決して多くはないかもしれません。でも、今 大変な状況にありながらも日々を懸命に生きる被災地の皆様に音楽を届ける事が出来た事も、それを可能にし 支えて下さった方たちへの感謝の気持ちを忘れてはいけないと思いました。
 そして、これからの被災地の未来を担う多くの子供たちに、もっと音楽を届ける事が出来たら彼らの夢や希望の大きな糧となるのではないかと強く感じました。


学校の図書室が避難所になっている階上小学校

坪井きらら 記