【東京定期演奏会(第634回)】広瀬大介氏による楽曲解説を事前公開!

10月21日(金)、22日(土) 第634回東京定期演奏会プログラム・ノート
公演の詳細はこちら⇒http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/concert.cgi?action1=preview_details&seq=685

               
広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)


 前回の7月定期では、すべてオペラを編曲した作品によるプログラムを披露したマエストロ広上淳一ハイドンヒンデミット、そしてシュトラウスの三つの作品で、音楽に内在するドラマをはっきりと示して見せた。登場人物の心の襞を描く旋律を生き生きと表現することにおいて、広上の優れた天性とその手腕は疑うべくもない。今回広上がメインのプログラムに選んだのは、1911年にドレスデンで初演されたリヒャルト・シュトラウスばらの騎士》の大成功を受けて生まれた次作、《町人貴族》。比較的小さな編成の、とはいえ至難を極めるアンサンブルも、きっとシュトラウスのエッセンスを存分に纏った、躍動感豊かなドラマとともに再創造されることだろう。前半で披露されるのは二つのニ長調の楽曲、シューベルト交響曲第3番》と、ブラームス《ヴァイオリン協奏曲》。広上と長年共演を重ねてきたボリス・ベルキンの登場によって、贅沢なひとときとなるのは間違いない。



シューベルト交響曲第3番 ニ長調 D.200
 フランツ・シューベルト(1797-1828)が、本格的な作曲家としてその類い希な天分を発揮しはじめたのは、1815年、18歳頃からのこと。《魔王》や《糸を紡ぐグレートヒェン》など、すでに歌曲の分野でその才能を発揮していたこの時期のシューベルトが、かのアントニオ・サリエリに作曲を師事していた、という事実は、あまり知られていないように思われる。イタリア人であるサリエリはドイツ歌曲の作曲にうつつを抜かす弟子を快く思わず、「旋律を節約した」作品を作ることに勤しむよう望んでいた。
 「1815年7月19日・作曲完了」の日付が付された《交響曲第3番》は、《交響曲第2番》に続き、わずか3ヶ月後に完成した。シューベルトが作曲した交響曲の中でもっとも短い作品でもある。荘重な序奏に導かれてはじまる第1楽章の主題は様々に形を変え、あたかもベートーヴェンが志した動機労作のようだが、「旋律を節約して」作曲するように説いたサリエリの教えをいかに取り入れるかに苦労している跡も窺える。第2楽章は重苦しいアダージョではなく、軽快ですらあるアレグレット。第3楽章もメヌエットとは題されてはいるが、その音楽的な性格から見ればスケルツォ的な軽やかさを秘めている。イタリア舞曲を取り入れた第4楽章は、当時ウィーンで大流行したロッシーニの音楽の影響とも、師サリエリの影響とも言われている。その繰り返しの多い楽想は、どこか《交響曲第8番「グレイト」》の最終楽章も彷彿とさせる。

作曲年代:1815年5月〜7月
初演: 1881年2月11日 ロンドン・クリスタルパレス
指揮:オーガスト・マンス
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部。



ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 ヨハネス・ブラームス(1833-1897)は1877年からの3年間、夏の数ヶ月をオーストリア南部のヴェルター湖畔にあるペルチャッハで過ごす。ここでの滞在で、1877年には《交響曲第2番》、1878年には《ヴァイオリン協奏曲》などが作曲された。この時期、ブラームスは《交響曲第2番》と《ヴァイオリン協奏曲》を二曲のセットとして構想していたようにおもわれる。ペルチャッハの風光明媚な自然を写し取ったかのような穏やかさ、それを醸し出すニ長調の響き、この二作の共通点はおそらく偶然ではないだろう。実際、ブラームスが同じ内容の曲を二つ続けて作る例は他にも見られる(ピアノ曲《二つのラプソディ》作品79など)。もともと《ヴァイオリン協奏曲》は四楽章形式で構想されていることからも、より交響曲に近い作品としてこの協奏曲が位置づけてられていたことが窺える。
 ブラームス唯一の《ヴァイオリン協奏曲》は、先行する同時代の作曲家のどの協奏曲とも似ていない。技巧を重視するヴィルトゥオーゾ型の協奏曲に、ブラームスは懐疑の眼差しを向けていた。その姿勢は第1楽章のカデンツァを自らは作曲しなかったことからも見て取れる(普通はヨアヒム作曲のカデンツァが演奏される)。ニ長調の明るさと、主に独奏ヴァイオリンによって提示されるニ短調の激しい情熱による緩急が協奏曲の曲調を形作る。「ヴァイオリンによるコロラトゥーラ・アリア」と呼ばれた第2楽章からは、ペルチャッハの暖かさというよりは、むしろ生地ハンブルクの寂しげな様子が伝わってくるよう。ロンド形式による第3楽章では陽気さが全曲を支配するが、三度の重音による開始部分は、ヴァイオリン奏者にとって決して弾きやすくはないだろう。技巧のぎこちなさと旋律の心地よさが絶妙のバランスで同居しており、とりわけブラームス独自の個性に溢れた楽章となっている。

作曲年代:1878年7月〜11月
初演: 1879年1月1日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
指揮:ヨハネス・ブラームス
独奏:ヨーゼフ・ヨアヒム
楽器編成:独奏ヴァイオリン、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部。



R.シュトラウス:《町人貴族》組曲 作品60
 台本作家フーゴー・フォン・ホフマンスタールリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)は、3作目の共同作品として、17世紀フランスの劇作家モリエールの代表作《町人貴族》の中に劇中劇としてオペラ《ナクソス島のアリアドネ》を組み込み、これを同時に上演するという野心作を世に問うた(初演:1912年10月、シュトゥットガルト)。しかしこの初演、およびそれに引き続くドイツ各地での上演はともに失敗。二人は《アリアドネ》に、楽屋落ち喜劇という枠組みを残した「序幕」を作り足して独立したオペラとし(初演:1916年10月、ウィーン)、《町人貴族》も純粋な演劇への付随音楽として改訂した(初演:1918年4月、ベルリン)。その後、シュトラウスは全17曲から成る付随音楽から9曲を選び出し、演奏会用の組曲とした(初演:1920年1月、ウィーン)。これらの曲からは、17〜8世紀フランス音楽、特にリュリやクープランを研究していた、シュトラウスのあまり知られていない側面を知ることができる。
 貴族に列したい大金持ちの町人ジュルダンは、その素養を身につけるためにダンスを習い(II、ローマ数字は組曲の当該曲)、フェンシングを習い(III)、仕立屋を呼んで貴族の服を誂えさせる(IV)。ジュルダンの娘リュシルは恋人クレオントと結婚の許可を得ようとするが(VII)、娘を貴族と結婚させようとしている父親は相手にしない。ジュルダンの金を目当てにするドラント子爵はジュルダンが惚れている(そして自分の愛人でもある)侯爵夫人ドリメーヌを連れてきて、豪華な晩餐会を開かせる(IX, VI)。クレオントはトルコの王子に変装し、ジュルダンをトルコ貴族に列すると言葉巧みにだまし、リュシルと見事結婚式を挙げてしまう(I, V, VIIIはいずれも各幕の序曲・間奏曲)。
 この種のくつろいだ雰囲気を持つ作品に対し、シュトラウスはその遊び心を最大限に発揮する。ジュルダン氏の大騒ぎを示す序曲の後には、《アリアドネ》序幕で作曲家が霊感を受けて歌うアリアの一節が組み込まれ、オペラの余韻をこの組曲にも響かせる。終曲「晩餐会」では、自作の《ドン・キホーテ》《ばらの騎士》などさまざまな引用が用いられる。ライン川の鮭が供される場面では、ワーグナーの《ラインの黄金》の一節が登場(!)。一般にシュトラウスが自作・他作からの引用を頻繁に行う作品では、自身の自画像的な要素を併せ持っていることが多い。同じく中産ブルジョワの出であったシュトラウスは、ジュルダン氏に自らの姿を投影していたのかもしれない。

編曲年代: 解説を参照のこと
編曲版初演: ウィーン(プリンツ・オイゲン・ハウス)、1920年1月31日 
指揮:リヒャルト・シュトラウス
楽器編成:フルート2(ピッコロ持替2)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン持替1)、クラリネット2、ファゴット2(コントラファゴット持替1)、ホルン2、トランペット1、バス・トロンボーン1、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、タンブリン、ハープ、ピアノ、弦楽5部。