被災地支援コンサート 久慈「動物の謝肉祭」と演奏アウトリーチ活動

日本フィルは3/11の東日本大震災以降「被災地に音楽を」送る活動を行っています。
さる1/20〜1/22、岩手県久慈市へ訪問しました(助成:公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション 協賛:ローム株式会社)。そのレポートをお届けします。

岩手県久慈市へ音楽を】
 2009年に「セロ弾きのゴーシュ」公演のために訪れた久慈のアンバーホールへ、「被災地に音楽を」の活動で伺いたい、と震災後すぐに連絡をとり、ホールは無事と聞きました。海辺の900戸は流され直下の川にはあと10cmまで水が来ましたが、ぎりぎり無事だったとのこと。ローム ミュージック ファンデーションより「被災地支援コンサート」の助成金を頂き、久慈市教育委員会、アンバーホール、日本フィルが一体となって急ピッチで公演を作り上げました。

【1/20第1日目 アウトリーチ:おらほーる】
 この地域の子どもたちの数に合わせて、客席数を決定したという地域密着型の「おらほーる(久慈市山村文化交流センター)」はこの日が年初めの稼動日だったとのこと。周辺の小中学校7校より子どもたちが次々にスクールバスで到着しました。山形小学校、小国小学校、霜畑小学校、戸呂町小学校、荷軽部小学校、来内小学校、山形中学校及び一般の皆さんで300人ほど。雪だったのでみな長靴をはき、カメラを構えると入口の看板の前でピースサインをして、にこにこと笑顔を見せてくれます。みな素朴で熱心に演奏を聴いてくれました。特に中学生には身を乗り出して聴いてくれる生徒もいました。

【1/20アウトリーチ岩手県立久慈病院】
午後は岩手県立久慈病院のロビーでアウトリーチコンサートを行いました。
 病院の総合受付の待合椅子を動かし、ステージがセッティングされ、200人ほどのお客様が集まりました。吹き抜けに響く柔らかな音色に、病院の職員さんたちも集まって、手すりに身を預けてじっと見下ろされています。時々PHSで呼び出しがかかるようで、忙しく話しながら列を外れるのも病院ならではの風景でしょうか。

久慈市の被災状況】
 コンサートのあと、メンバーはマイクロバスに乗って、アンバーホールスタッフのご案内のもと、沿岸の被災状況を見せていただきました。
 地震が起きた時、ホールでは付近の小学校を集めて市の行事を行っていたそうです。地震のあと津波が押し寄せるまでの30分の間に、子どもたちを送り届け、職員の皆さんはホールにある展望タワーに上り、「海そのものが盛り上るような」津波を見ました。「通勤車はもっていかれるね・・・」とあきらめていたとのこと。しかし、実際にはアンバーホールを挟むように流れる大きな川が水流を飲みこみ、壊滅的な状況にはなりませんでした。また、住民の皆さんは災害時に備えた避難訓練をよく受けておられ、3月11日は消防団も水門を見に行くなどの沿岸に近づく行動はせず避難する、と判断されました。行方不明者がおられなかったために瓦礫撤去に重機を使うことができ、久慈の街の復興は早く、街中はほとんど震災前と変わらない風景に見えます。ただ、我々がこの日と次の日にバスで廻った沿岸では、道路標識や、ガードレールが水の流れにぐにゃりと曲がって立っていました。“いくら”の製造工場が、使う半分だけ取り急ぎ立て直され、半分は鉄骨がむき出しになっていました。

【アンバーホール「動物の謝肉祭」公演】
 アンバーホールに訪れる子どもたちの足取りは軽く、入口で日本フィルからの贈り物であるキティちゃんのクリアファイルとパスケースを笑顔で受け取ってくれました。1月21日は小中学生と保護者で150人ほど。翌22日は未就学児から保護者まで、400人ほどのお客様がホールに集まりました。

 アイネ・クライネ・ナハトムジークに始まり、音楽家専門外のおもちゃ(楽器?)と弦楽3部の掛け合いが楽しい「おもちゃの交響曲」。プログラムには入っていなかった急遽サプライズプレゼントの打楽器デュオでは、おなべやカップが打楽器として登場しました。武田美和子さんと中井恒仁さんのピアノデュオは「花のワルツ」や、ラフマニノフの<組曲第2番>より激しい「タランテラ」。

 第1部で色とりどりのアンサンブルを楽しんだあとは、江原陽子さん司会の「動物の謝肉祭」です。杉並の女子美術大学がこの作品のために製作してくれたスライド、江原さんの穏やかな司会が、サン=サーンスの音楽の魅力を最大限に子どもたちに伝えていました。このコンサートにはクラリネットの日比野裕幸さん(元 仙台フィルハーモニー管弦楽団奏者)も助演に駆けつけて下さいました。


第3部の「みんなで歌おう」では<さんぽ>の歌で、日本フィルの力強いマーチのリズムと、久慈の子どもたちの声が一体となっていました。


 「広報くじ」のインタビューを受けた打楽器の福島喜裕は、「音楽家たちが具体的にどういう風に力になれるかというのはすごく弱いものだと思うんです。音楽を通じて、聴きに来られた子どもたち、保護者の皆さん。とにかく子どもと家族が一緒に来られて、一つのところで音楽を共有できるということが最高の幸福ではないかと。今回の音楽会を通じて、希望とか将来に結びつくようなものを感じてもらえればよいですね。」と答えていました。
久慈のバスターミナルで帰りのスワロー号に乗ろうとしたら、運転手さんが驚いて「こんなにたくさんの人がバスに乗ってきたのは、正月以来だ!」と叫んでいました。バスの中で、久慈病院のコンサートを聴いたという女性から「今から東京へ帰るのですか?コンサート聴きました、よかった」と声をかけられました。