山田和樹マエストロのウィーン・デビューを聴いて

日本オーケストラ連盟 参与 加納 民夫 様より、日本フィル正指揮者山田和樹のウィーンデビューのリポートを頂きました。

去る12月1日、ウィーン楽友協会大ホールはほぼ満席のお客さんで埋まり、万雷の拍手とブラボーの掛け声、スタンディング・オベーションで讃えるお客さんたちもいて、すてきな演奏を聴いた喜びで包まれました。

この日のオーケストラはウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の名で知られるTonkünstler-Orchester Niederösterreich、指揮者は日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者の山田和樹さん。彼のウィーン・デビューだったのです。

私は、山田さんが「音楽の都ウィーン」でどんなデビューをするのか、彼が創りあげる音楽に対して耳の肥えたお客さんや楽員さんたちがどう反応するのか、自分の目で、そして耳で確かめたいと思い、11月下旬から12月上旬の1週間ほどウィーンに行ってきました。この間、ウィーンはほぼ天気に恵まれましたが、朝晩の冷え込みは厳しく、思わず防寒靴と毛糸の手袋を買ってしまいました。
さて、ウィーンで活躍するメジャー・オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン交響楽団、ウィーン放送交響楽団、そしてウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団です。トーンキュンストラー管は、2015/2016年シーズンから佐渡裕さんが首席指揮者・芸術監督に就任することが伝えられ、しばし話題になりました。

山田和樹さんは、そのトーンキュンストラー管の12月定期公演を指揮して、ウィーン・デビューを飾ることとなったのです。
山田さんとの出会いは、私がNHK交響楽団でマネジメントをしていた時のことですから、7年ほど前のことです。N響桂冠名誉指揮者のシャルル・デュトワさんが、定期公演でプロコフィエフカンタータアレクサンドル・ネフスキー》を採りあげました。共演のコーラスは東京混声合唱団。その東混の指揮者が、山田和樹さんだったのです。彼は当時27歳でしたが、大地にしっかりと根を張ったスケールの大きなコーラスに仕上げてくれました。デュトワさんが、「今回の合唱指揮はいいね。」と言っていたのを記憶しています。その後、NHK文化センターで「指揮講座」をやっていただいたりして、気になる音楽家の一人として注目してきました。2009年、山田さんは「ブザンソン国際指揮者コンクール」に優勝。その報を旅先で聞いて、溜飲が下がる思いをしました。その後の目覚しい活躍はご存知のとおりですし、半年後の2014年7月には首席客演指揮者を務めるスイス・ロマンド管弦楽団を率いての日本公演が予定されており、チケットの売り上げも順調のようですし、さらに来秋のシーズンからモンテカルロフィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者にも就任が決まり、いよいよヨーロッパでの展開が本格化していくようです。

ところで、今回のトーンキュンストラー管定期の曲目は、ラヴェルの《優雅で感傷的なワルツ》、サン・サーンスの《チェロ協奏曲第1番》、そしてストラヴィンスキーの《ペトルーシカ(1947年版)》です。山田さんの希望とオーケストラの希望を調整した結果のプログラムということでした。チェロは、ドイツ人ながらフランス音楽も得意とする31歳のジュリアン・ステッケルさんです。若いふたりの協演が楽しみです。

私はリハーサルも見学させていただきたいとオーケストラの了承もいただき、11月28日の朝9時過ぎに練習場所のウィーン楽友協会地下のグラス・ホールにお邪魔しました。


このホールには、大ホールのステージと同等のひな壇が組んであります。ただ、大ホールと違って残響がほとんどありません。でもそのそのほうが細かいニュアンスまで把握でき、練習には非常によいということでした。この日は、2日目の練習でしたが、このオーケストラ、今回の曲目はあまり演奏する機会がないのか、練習開始早々は最後まで行き着くのか少し不安に思いました。あとで聞いた話では、ドイツ・オーストリア作品を演奏する場合でも、リセットしてゼロから構築するそうで、練習開始時は探ることが間々あるということでした。そういう意味では既成概念や思い込み、以前の指揮者の音楽観に捉われることなく練習できるので、指揮者にとっては自分の音楽を創りあげていき易いのかも知れません。しかし、当初の不安も、2時間半の昼休憩後の午後の時間帯になると一変しました。もっとも、それは山田さんの狙いだったのかも知れません。つまり、楽員さんに緊張感を持ってもらうようテンポを少し上げていたのです。やがて、山田さんが目指す音楽に近くなってきたようで、音楽のゆれや溜めも効き始め、かなりいい感じになってきました。そして、山田さんの的確な指示やジョークも功を奏したのか、この日は練習予定の17時前に終了しました。

翌29日は、14時30分からゲネプロ(総合練習)です。場所は、テレビ中継などでもおなじみのウィーン楽友協会大ホール。すばらしい音響を持つ世界の三大ホールのひとつと言われている、シューボックス型のホールです。いまヨーロッパのオーケストラのゲネプロの多くは公開となっているそうで、客席には高校生たちが100人ほど詰め掛けていました。学生たちが、サウンドも装飾も豪華なホールで一流のオーケストラの演奏を体験できるなんて、なんとうらやましいことでしょう。ゲネプロでは客席の人数も少なく、かなり響いていましたので、山田さんは少しテンポを抑えて棒を降ろしました。本番でお客さんが入ったら少し響きがおさまるので、そうしたらテンポを戻したいと、細かい配慮を考えていたようです。演奏全体はリハーサルとはまったく異なり、直ぐにコンサートを開けるのではないかと思われるほど、ほぼ完成域にまで仕上がっていました。さすがにプロフェッショナル。あとは、ラヴェルやサン・サーンスにはラテン系音楽の洒脱さが、ストラヴィンスキーには風刺的なウィットさが加われば本番は言うことなしです。

公演初日の12月1日、日曜日。楽友協会大ホールでは11時からウィーン・フィル定期公演がありました。トーンキュンストラー管は、15時から30分のサウンドチェック。山田さんは、この最後の機会に時間をかけました。これまで練習を重ねてきたことを確認しつつ、微妙な表情付けを念入りに行っていました。そして30分後の16時から、公演です。最終練習と本番の間が30分というスケジュールは、日本のオーケストラにはあまりないパターンかも知れませんね。でも、本番ぎりぎりの音出しにより楽器がウォーミングアップされるのですから、むしろ、このやり方は合理的なのかも知れません。

楽友協会大ホールは、トーンキュンストラー管の定期会員のほか、当日売りに並んだお客さんなどで満席。山田さんのウィーン・デビューを祝福するかのような状況です。聞いたところでは、日本からのツアーのお客さんもいらっしゃったとか。さすがに本番の演奏は、すばらしい。山田さんの、デュトワさんを彷彿とさせる音楽の溜め、その結果のアゴーギクは、ウィンナ・ワルツとはまったく異なるラヴェルのワルツの優雅さを醸し出していました。
2曲目はサン・サーンスの《チェロ協奏曲第1番》。数少ないチェロ協奏曲の中でも傑作とされるこの作品は、サン・サーンスが30代後半のチャレンジ精神旺盛な時代の作品です。ソリストのジュリアン・ステッケルさんの叙情性をたたえながらもスケールの大きな演奏に、山田和樹さんはオーケストラをうまくハンドリングしていました。山田さんは、協奏曲の場合でもほとんど暗譜をしているようで、ソリストとの呼吸の合わせが抜群であるとともに、オーケストラとしての音楽の主張もきっちり行っており、まさに「協演」でした。終演後にステッケルさんは、ソリストの音楽を立てながら、でも音楽全体をシンフォニックに創りあげていってくれるので、非常に演奏しやすい指揮者だと言っていました。

休憩後は、ストラヴィンスキーバレエ音楽ペトルーシカ(1947年版)》です。1913年、この作品を上演しようとしてウィーンを訪れたロシア・バレエ団は、当時のウィーン・フィルから「汚れた音楽」と言われ、演奏拒否にあいました。それだけストラヴィンスキーの音楽が先鋭的でアヴァンギャルドで、洗練された音楽の都には似つかわしくないと思われたのでしょう。もちろん、今はそんなことはまったくありませんが。そしてこの作品は、オーケストラの実力が如実に出る作品のひとつだと言われています。つまりコンサートマスターをはじめ、フルート、オーボエコールアングレファゴット、ホルン、トランペット、さらにはティンパニと小太鼓が掛け合うなど、あちらこちらで妙技を披露しなければならないのです。そして、指揮者泣かせの変拍子のオンパレードです。トーンキュンストラー管は時にハラハラさせながらも山田さんの巧みなコントロールに沿ってドラマチックな演奏を行い、冒頭に書いたように万雷の拍手とブラボーの掛け声、スタンディング・オベーションのお客さんで、会場が大いに盛り上がり、何度も何度もステージに呼び返されました。

今回の定期公演で、トーンキュンストラー管のコンサートマスターを42年間務めたテヘラン生まれのビジャン・カデム=ミサークさんが、最後の演奏会となりました。終演後にきれいな花束が渡され、お客さんとオーケストラから感謝を込めた大きな拍手が会場を包みました。

2日目の公演は、トーンキュンストラー管が事務所を構えるザンクト・ペルテンの祝祭劇場大ホールで行われました。ザンクト・ペルテンはウィーン州の西隣りニーダーエスライヒ州の州都で、バロック建築があちらこちらに見られる人口5万人余の都市。日本の倉敷市姉妹都市です。ピアノの巨匠イェルク・デムスの出身地でもあります。ウィーン西駅からオーストリア国鉄リンツザルツブルクに向かい、30分ほどで着きます。シューベルトが仲間たちと音楽の集い、シューベルティアーデを行った家も残っています。祝祭劇場は、中央駅から徒歩で15分ほどのところにある1200席の大ホールを中心にした施設です。建物自体は白色セラミックプリントガラスを使って1997年に建てられたモダンなもので、夜間は美しい照明で彩られます。

この日のコンサートは、オーケストラの本拠地ということもあってか、地元のお客さんを中心に、満席でした。演奏は、初日よりさらにアンサンブルが緻密になり、お客さんたちも楽員さんたちも、山田さんが紡ぎだす音楽を楽しんでいるようでした。

最終日、3日目の公演は、初日と同じくウィーンの楽友協会大ホールで19時30分から行われました。3日目は、アンサンブル的にも、また各ソロ楽器の名人芸も冴え、一番いい仕上がりのコンサートだったと思います。終演後、古くからのトーンキュンストラー管のお客さんらしい方々が山田さんの楽屋を訪れ、彼の大きく引き伸ばされた写真にサインを求めたり、2ショット写真を頼んだりしていました。また楽員さんたちも大勢やってきて、ぜひまた指揮してほしいと話していました。このオーケストラの数少ない日本人の楽員さんは、「これほどまでお客さんや楽員たちをハッピーにしてくれた指揮者は珍しい。」と言っていたのが印象的でした。