岩手県花巻市の旅館と陸前高田市の中学校で弦楽四重奏


今、日本で「陸前高田」という地名を知らない人はいるのでしょうか…おそらくはいないと思います。3.11の地震による大津波で市中心部は壊滅状態になり、7万本あったとされる松の木は1本を残してすべてなぎ倒され、白砂青松の高田松原が消滅してしまった陸前高田。今回の被災地に音楽をでは11月21日には大槌町釜石市などで被災した方々が仮住まいをされている花巻市、22日は陸前高田市へ行ってきました。テレビやインターネット、現地を訪れた人々による体験談だけでは想像できない経験を、肌で感じることができました。

♪6月以来2度目の訪問の温泉旅館で、生のクラシック音楽の「心」を届けました。

今回演奏をしたのはヴァイオリン斎藤千種、太田麻衣、ヴィオラ菊田秋一、チェ
ロ大澤哲弥。20日にオーケストラでのいわき公演終了後、郡山まで高速バスで向
かい、そして新幹線で花巻へと移動しました。宿泊旅館の花巻市の「幸迎館」には深夜の到着となりました。翌朝目が覚めて窓を開けると飛び込んできた景色は、一面雪化粧をしていて冬の到来、北にいること、震災後初めて訪れる冬への不安を一瞬にて感じさせるものでした。
メンバーは朝食もそこそこに朝10時から練習を開始、それはお昼を挟み夜7時
まで続きました。8時から旅館のロビーにて開演です。この幸迎館では6月4日に
もヴァイオリン三好明子、チェロの大石修のデュオで演奏をした旅館です。当時は、まだ釜石や大槌で被災された方々も大勢寝泊りしていて「北上夜曲」などを演奏し、多くの皆様の心を癒すことができたことが思い出されます。現在では近くの仮設住宅に移動しているそうです。

今回も前回聴いていただいた方や仮設で借り住まいの方、またこの日のために気仙沼仮設住宅から1泊演奏付ツアーでいらした皆様、そして事前に希望(毎日)新聞に掲載された記事を見て来場された方など50人ほどの皆様に演奏を聴いていただきました。モーツァルトの「ディベルティメントK136」で演奏会がスタート。その後トークや楽器紹介も交えながら「愛の喜び」などクライスラーの小曲、イギリス人が編曲をした日本民謡メドレー、ソーラン節、そしてドヴォルザークの「アメリカ」などを披露しました。途中からふらりと立ち寄られた方々も立ち見で観覧されたりで、来場された皆様の微笑みや満足した顔が見られました。お客様のごく一部の方から「やや一般性に欠け、親しみにくかったのでは?」という声もありました。チェロの大澤は、「もちろんポピュラーな曲で親しんでもらうことも大切です、でも自分たちができることはクラシック音楽であり、またせっかく生でその音楽をお届けするのだから少しでもその良さに触れてもらいたい、感じてもらいたいのです」と言っていたのが印象的でした。


翌朝もメンバーは早朝から練習をしていました。陸前高田へ移動する前に気仙沼から来た人とお話しました。以前どこかであっただろうと錯覚するほどの親しみやすい方で、いろいろとお話を聞くことができました。気仙沼の家は半壊してしまったそうで2階はなんとか無事だったそうです。やはり記憶というものは一瞬にして甦ってしまうもので時折、目を細め、また瞳は深くなり、そして声の抑揚も大きく変化しながらのお話でした。東京から気仙沼へ60年前に嫁いだそうで、若かりしころは空襲も体験しており、この度の震災は東京大空襲を彷彿させると言っていました。そして最後に「今から陸前高田へ向かうんです」と告げたとこ、突然の涙を流し、「ありがとう、ありがとう」と言葉にならずも何度も繰り返していました。

♪寒さ染み入る中学校の体育館で、生徒と仮設の方々の心を音楽で暖めました

送迎のバスに2時間ほど揺られ、陸前高田の町に入って行きました。途中の「道の駅」には、陸前高田の震災前後の様子が写真で掲載されていて、先に述べた7万本の松など、町の豹変ぶりに背筋が凍りました。高台の頂点にある陸前高田市立第一中学校の校庭は仮設住宅の集合帯となっていました。これだけ高くないと津波は逃れられないのかとも思いました。この中学校の体育館で15時45分、授業の終了後演奏会を行いました。

佐々木校長先生のお話では、この体育館は3月11日の午前中に落成式が行われ
たそうです。まさにその日の午後地震による津波、その後は避難所となり、今で
は壊滅してしまった町の唯一の娯楽施設だそうで、9か月経った現在も頻繁にアーティストやジャズバンドなどの演奏があるそうです。また「日本フィルのメンバーがまさかこんなところまで来てくれるとは思わなかったので一同楽しみしている」とのことでした。極寒の体育館で生徒たちが規則正しく待機する中、メンバーが入場し、いよいよ演奏が始まります。曲目も昨日演奏したプログラム以外に、生徒向けの曲も取上げられました。「ディベルティメントK136」、「上を向いて歩こう」、「アンパンマンのテーマ」、ヴィヴァルディ「四季」から《冬》を解説しながら演奏。そして《春》の第一楽章。最後の「ふるさと」を合唱とあっという間の1時間でした。「上を向いて歩こう」は、仮設住宅の方の涙腺を緩め、「アンパンマン」は生徒たちの身体を左右に揺らし、「ふるさと」ではみんなで声を出し会場を暖めました。

最後に佐々木校長先生のおっしゃられたことは、生徒の半分は家が流されてしまった。震災から9か月たった現在、これから厳しい初めての冬を向かえるにあたって物質的なものより心の支援が必要だ。そして今まで、全国、全世界から助けてもらった思いに、いつか必ず恩返しがしたいとのことでした。屈託のない優しく透明な方言で語られた内容は、今も忘れられません。