レポート第2号その2 岩手県花巻市・釜石市・大船渡市でヴァイオリンとチェロの二重奏

<山の神温泉・幸迎館にて>

 2011年6月4日と5日に、日本フィルの室内楽メンバーは震災後初めて岩手県に入りました。訪れたのは花巻市釜石市、大船渡市の避難所です。

 日本フィルのメンバーはヴァイオリン三好明子とチェロ大石修というベテラン二人。東北新幹線新花巻駅を経由し、ローカル単線の釜石線花巻駅へ到着し、そこから演奏会場である「山の神温泉・幸迎館」へと向かいました。幸迎館には釜石市大槌町で被災された方々が60名ほど避難しており、同館の職員の皆さんが事前に演奏会案内の掲示、ビラ配り、当日は急遽の横断幕を作成、館内放送をしていただくなど事前準備を丁寧にしていただきました。

 入念なリハーサルの後、時刻は20時となりいよいよ開演です。レハールの「メリー・ウィドウ」ワルツでスタート。年齢を重ねた二人ならではの豊潤な響きが、被災されたご年輩の方々の琴線に響いた様子でした。その後「タイスの瞑想曲」、サン・サーンスの「白鳥」とそれぞれがソロ曲を演奏、お客様たちは親しみやすい曲の数々にそれぞれの思いを胸に楽しんでいるようでした。浅黒く日焼けした男性は避難前の土地柄からおそらく漁師の方でしょう。前方に陣取り演奏を聴きながら何度も頷き、緩む涙腺に目頭をおさえている姿が印象的でした。

 演奏会もクライマックス。最後にデュオで日本の唱歌の演奏です。最終的には立ち見の方もあわせて50〜60人くらいの人数となっていました。“みんなでうたおう”と題して“浜辺の歌”、岩手県にゆかりのある“北上夜曲”、そして定番である“ふるさと”を合唱。特に“北上夜曲”は皆さんご存知の様子で一番声が出ていました。アンコールはモンティのチャール・ダッシュ。そして終演後は三好も大石も被災された方と時間の許す限り懇談しました。


釜石市立甲子中学校にて>
 

 翌日5日は早朝8:30に幸迎館を後に釜石に向かいました。午後1時より釜石市の甲子中学校体育館にて演奏です。この中学校の校庭は自衛隊の移住基地となっており迷彩色の車やテントなどで埋め尽くされていました。仮設住宅やアパート等への入居に伴う移転で、体育館に暮らしている被災者の方は現在50人弱ということです。釜石市では避難所での生活者の人数が徐々に減っているということと、日曜の昼ということで慰問イベントが多数行われていたようで、体育館の中には12人ほどしかいらっしゃいませんでした。そのためBGMのような感じで演奏をしようということになりました。

 「メリー・ウィドウ」に始まり「タイスの瞑想曲」や「愛のあいさつ」など次々と演奏しているうちに皆さん徐々に身体をおこして真剣に聴いていただけるようになりました。そしてそこにいる多くの方の頬を涙が流れました。最後に体育館から退場する際は、心のこもった大きな拍手をいただきました。


<大船渡市「リアスホール」ロビーにて>

 釜石から車で約1時間30分移動し大船渡市に入ります。午後4時から大船渡は避難所のリアスホールロビーでの演奏です。急に演奏日程が決まったこともあり、避難所にて直接演奏会へ呼び込みを行ったり、告知の館内放送を何度もしていただきました。結果的には30人以上のお客様がいらっしゃいました。

円熟し息もぴったりあった二人の演奏に大船渡でも多くの方から涙ながらに感謝の言葉をいただきました。ある方は「震災から今までずっと気を張り、緊張感を持って生きてきた。生演奏の音を聴いた瞬間、張りつめていたものが解き放たれ涙が止まらなくなった。」とのこと。その方は延々と三好さんにご自身の募る思いをお話されていました。


今回避難所3か所で演奏を行い、三好、大石も被災された方々から直接の感謝、喜びの声を全身で受け止めました。「今日の演奏は一生忘れません」「無意識に張りつめていた緊張が解けた」「癒しをもらった」「また是非とも来てほしい」など多くの言葉をかけていただきました。

『家もなく途方もない絶望感や、先は長いが復興を目指して立ち上がろう。という思いが入り混じった感情』と『被災地や被災された方を思い救済、復興のために何かできることはないか』という日本フィルの思いを繋ぐのは、クラシック音楽の力だとあらためて感じる2日間でした。

(営業事業部 板垣)