南相馬市室内楽演奏会レポート

6/25(土)〜26(日)の2日間、福島第1原発のある大熊町双葉町から真北に約20〜30㎞、全村避難の飯舘村葛尾村のすぐ東側という位置にある南相馬市で、4回の弦楽四重奏演奏会を行ってきました。
南相馬市は、福島の地域分けで言うと、津波の直撃を受けた《浜通り》に位置します。市域の中心となるのは、旧原町市(JR常磐線原ノ町駅周辺)です。戦国時代の甲冑姿で、騎馬合戦や騎馬競争を行う『相馬野馬追(のまおい)祭』で有名な街です。
震災・津波で、750人以上の方々が亡くなり(あるいは行方不明)ました。ほかに負傷者も多数出たそうです。また、現在、市の南側の一部区域は、原発被害による立ち入り禁止区域ともなっています。つまり、津波原発と二重の被害を受けているわけです。

今回の原発事故で一挙に全国的に名前を知られることになった南相馬市や、双葉町とは、日本フィルは、10年以上前から、密接なつながりがありました。オーケストラ公演や室内楽の演奏会に何度か呼んでいただき、そのたびに地域の方々と、様々な交流を行って来ていたからです。今回の演奏会は、市内にお住まいの、NPO法人自然環境応援団の理事長上條大輔氏と、《陽だまりの会》の代表高倉紀子氏のご尽力、コーディネイトにより実現いたしました。

演奏会の前後には、上條さんのご案内で津波の直撃を受けた海辺の地域やら、瓦礫の集積場などにも連れて行っていただきました。市内の海岸から3〜4km地域には、いまだにひしゃげた自動車や船底を上にした漁船が、あちらこちらに多数放置されたままになっていました。集積場には、あまりに莫大な量の家具、家電、布団、家の一部がうずたかく積まれていました。

津波という自然の驚異をまざまざと見せ付けられました。そして、さらに原発事故による、放射能被害…
私たちは、日本フィルのメンバーは、景色を見ながら、押し黙ったままとなりました。市民の方々の悲しみの深さは、いかばかりかと想像することさえ難しいほどの状況でした。

初日は、避難所になっている鹿島保健センターでの演奏会でした。30名くらいの方にお集まりいただきました。クラシックの名曲のほか、《浜辺のうた》や《ふるさと》は、集まった観客の皆さんと「原町女性合唱団」「ゆめはっと合唱団」の皆さんともご一緒に歌うことが出来ました。

2日目は、避難所となっている市立第二中学校、道の駅南相馬、さらには同じく避難所として使われている市立第一小学校の順番で演奏会が開かれました。
第二中学校では65〜70名、道の駅では、50〜55名、第一小学校では、25名〜くらいの方々に演奏を聴いていただきました。特に第二中学校と第一小学校では、朗読ボランティアの会「千の会」の方々とも共演させていたくことが出来ました。

実は、最後の演奏会が開かれた、第一小学校では、避難している方々が寝泊りなさっている生活空間である体育館、その中での演奏会でした。
(ほかの会場は、生活の場での演奏ではなく、ロビーなど共有スペースでの演奏でした。)

観客の数を25名〜と書きましたが、2畳くらいの段ボールで覆われた個人の生活スペースにぐるりと囲まれた空間の中での演奏です。演奏者の前におかれた椅子に腰掛けてお聴きになっている方だけでなく、生活スペースに寝転がったまま、お聴きになる方、また演奏が始まってもお休みになったままの方もおいででした。

私たちの音楽が、今この体育館にいらした方たちにとって、いくらかでも心の安らぎになってくれていれば嬉しい、そうであって欲しい…
そういう思いを込めての静かな演奏会となりました。

(営業事業部:川口)