公演担当者と一緒に、東京定期を聴こう。第6弾 R.シュトラウス《町人貴族》の巻 その1

本日の「公演担当者と一緒に・・・」企画はなんだか気合が入っています。会議室のドアにはこんな張り紙が。

会議室に入ると、何とも不思議な音楽が流れていました。今日のテーマは《町人貴族》ではなかったですっけ?

その1.感性、人生、題材・・・スタイルは変わっていく

武満徹:アステリスム
武満徹:ファミリー・トゥリー〜若い人たちのための音楽詩〜

担当者(以下黒文字は担当者語る)1曲目と2曲目は作曲家、武満徹の曲です。1曲目は1969年頃に初演された《アステリスム》という曲。そして次に聴いてもらったのは1992年に書いた《ファミリー・トゥリー(系図)》です。
20年以上の時を経ると同じ作曲家でもこれだけ作風が変わるという一例です。60年代はトーン・クラスター(房)という作曲技法が盛んにもてはやされた時期で・・・

♪ピアノで例を弾いてみる。。。というかぴしゃっと叩く。

ピアノだとオクターヴ内には12個しか音がないですから、重なりにも限度がありますけれど、弦楽器だと無限に音程があわけで、それらがいっぺんに鳴るとカオスというか宇宙空間を想起されるような音響空間が生み出されるわけです。
もう一つ、ストラヴィンスキーの例も。

ストラヴィンスキーバレエ音楽春の祭典
ストラヴィンスキーバレエ音楽《プルチネッラ》

スタッフその1(以下●)これは意図的に作曲家自身が様式を変えているよね。

そう。《春の祭典》はバーバーリスティックな響き。それに対して《プルチネッラ》は「新古典主義」とも呼ばれるスタイルの作品。平たく言うと「なんちゃてバロック」だったり「なんちゃて古典」。でもストラヴィンキーが書いた音楽は、ただ懐古趣味で様式を踏襲しているのではなくて、「古典」というフォーマットを使って、より一層「現代」を意識させようとしたのだと思う。事実、この《プルチネッラ》というバレエは《春の祭典》や《ペトルーシュカ》同様、ロシアバレエ団の興行主ディアギレフという呼び屋が企画したものだし、舞台美術にはあのピカソが関わっている。つまり当時の最先端芸術だったというわけ。
ちなみに《プルチネッラ》にはキチンと(?)元ネタがあります。これを聴いてみてください。

ストラヴィンスキーバレエ音楽《プルチネッラ》より「ヴィーヴォ」

では次にこの曲を・・・

ペルゴレージ:「ヴィオラ・ダ・ガンバのためのシンフォニア」より第4楽章


こうやって20世紀の作曲家は色々とスタイルを変遷させていく。その一つには「昔に戻る」という形があります。作曲家のスタイルがなぜ変わるかというと、一つには技法の限界が挙げられます。調性音楽を経て、12音技法やトーン・クラスター、偶然性の音楽(チャンス・オペレーション)等々・・・様々な作曲技法が生まれては消えてゆく中で、「昔に戻る」という「新しい」道があったわけですね、ちょっと乱暴な言い方だけど。

作曲家のスタイル変化にはいくつかの理由があって、一つは「感性の変化」。ある意味「トゲトゲしい」響きの現代音楽を経て、調性音楽に還る人はペンデレツキに代表されるように結構多い。
他には愛する人が死んでしまったとか、祖国がなくなってしまったといった「人生の変化」でその人の音楽が変わってしまうこともある。ショスタコーヴィチのように政治的な圧力で変わってしまった(ように見せかけた?)人もいますよね。
そしてもう一つが「題材による影響」。それが《プルチネッラ》のストラヴィンスキーであり、今日のテーマであるリヒャルト・シュトラウスでもあるわけです。例えばシュトラウスの有名なオペラに《薔薇の騎士》がありますが・・・

♪オペラ《薔薇の騎士》冒頭部分

●(担当者の前の分厚い楽譜を見て・・・)それ、日本フィルの楽譜ですか?

そうですよ。・・・とまぁ、超ゴージャスなオーケストラ・サウンド。ドレミファも完璧に使いこなして、楽器もその機能をギリギリまで駆使してる。この時点で彼はロマン派音楽の頂点に立ってしまったわけですよ、大げさに言えば。

そんな彼がその後に作曲したのが《町人貴族》。オリジナルは17世紀フランスの劇作家モリエールが書いた戯曲です。そして当時はリュリによって音楽が付けられました。ブルボン朝時代の文化的ハイライトとも言えるこの名作を、19世紀になって(《薔薇の騎士》の台本も書いた)フーゴー・フォン・ホフマンスタールが改作し、それにRシュトラウスが音楽を付けたわけです。

●どういう話なんですか?

これね、話結構込み入っているんです。興味ある方は岩波文庫から出ていので、そちらをお読みになってください。とにかく根底に流れているのは成り上がり者に対する風刺です。

R.シュトラウス版《町人貴族》は、まず1917年に完成されました。後に独立したオペラとなる《ナクソス島のアリアドネ》を劇中劇に含むこの作品は、結局初演でうまく行かなかったんですよ。で、《ナクソス島のアリアドネ》をオペラとして完成したあと、改作した《町人貴族》をシュトラウスは世に出しました。それから1920年になって、代表的な9曲を抜粋した組曲版を編み直したのです。