公演担当と一緒に、オーケストラを聴こう第10弾 7月東京定期日本フィルシリーズ再演企画 その1

毎回、日本フィルの会議室で公演担当者が持参したコンサートプログラムのCDを聴きながら、好き勝手にスタッフが突っ込むバーチャルコンサート、「公演担当と一緒に、オーケストラを聴こう」第10弾を迎えた今回は、この週末にサントリーホールで開催される日本フィルシリーズ再演企画を語ります。
とっつきにくいかと思われることが多いプログラム組みも、歴史や仕組みを知ると「こんな音楽もあるんだな」、と興味深かったり。
あまり考えすぎずに、響に身を任せてみてはいかがでしょう?

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まずは簡単な日本近代音楽史を。


山田耕筰 長唄交響曲《鶴亀》


山田耕筰という人は、明治時代からまさに日本のクラシックの歴史を作り上げた人と言ってよいでしょう。
1886年に生まれて、戦後の1965年まで存命でした。
同世代の作曲家としてはバルトーク1881年)とかストラヴィンスキー(1882年生まれ)あたりが挙げられます。
山田は《勝鬨と平和》というタイトルの日本人初の交響曲を1912年に書いています。
今聴いてもらった《鶴亀》は1934年に書かれました。
日本文化の長唄と西洋のオーケストラが同時に演奏するという、今考えてもかなりブッ飛んだ発想ですよね。
他には、ドイツ音楽本流への追求を行った諸井三郎や山田和雄(その後一雄に改名)、伊福部昭松平頼則、深井史郎、清瀬保二、早坂文雄といった錚々たる面々が戦前には活躍していました。
さて今回のテーマである「日本フィル・シリーズ」では上記の作曲家とは世代を異にする戦後活躍した人たちが登場します。
その中でまずこの曲を聴きましょう。
日本フィル・シリーズ第1作「矢代秋雄 交響曲」です。


矢代秋雄 交響曲


日本フィル・シリーズの素晴らしいところは、再演率の高い作品がとても多い、ということです。
今でも様々な作曲賞やコンクール、委嘱が行われていますが、その中で再演されているものがどれくらいあるか・・・。
その点、率でいうと圧倒的に日本フィルシリーズの方が高いです。
矢代先生の交響曲は1958年に初演されました。
日本フィルの創立が1956年ですから、本当にオケが出来たてホヤホヤの時期に初演されたものなんですね。
「テンヤテンヤテンテンヤテンヤ」という第2楽章のリズムはユニークで耳に残りますね。


バーンスタイン聴いているみたいな気分になりますね。


なるほどね・・・。ここら辺が、フランスの作曲家デュティーユの曲に似てたりするんですよ。この木系の打楽器の使い方や、今のハーモニーなんか。


○ピアノ・コンチェルトも有名ですよね?


そのとおり!ピアニストの中村紘子さんが初演されたピアノ協奏曲は交響曲以上に再演率が高いのではないでしょうか。
矢代先生のお父さんは有名な考古学者で、インテリ系の家だったようです。
矢代先生ご自身は芸大出た後にフランスに留学して作曲のテクニカルな部分だけでなく、その精神をも吸収してきたと言えるでしょう。


矢代秋雄 ピアノ協奏曲


残念ながら矢代先生は1976年に46才という若さで亡くなってしまったのですが、「日本フィル・シリーズ」を語るうえで欠かすことのできない方なので、あえてご紹介しました。矢代先生が生まれた1929年というのは他にもいろんな作曲家が出ていて黛敏郎さんや湯浅譲二さんも1929年ですね。で、武満徹さんが1930年。三善晃さんが1933年生まれです。


○アケ先生(日本フィル創立指揮者の渡邉曉雄)が1919年生まれで昨日お誕生日だったんでしょ。ナクソスのサイトにあがっていたけど。その年にアケ先生が生まれて、その10年後に、みんな生まれたわけですね。


それにしても30分近くの大シンフォニーを、29歳の若者に委嘱して、初演したというのは今考えるとびっくりなんですよ。


○うーん、たしかに。ちなみに、日本フィルシリーズができた頃、つまり1958年の日本フィルは、どんな時代だったんですか


1956年にオケ創立ですから、本当に始まったばかりですね。


文化放送、フジテレビのオケで、がんばっているときですね。ところで争議のときも日本フィルシリーズって続いているんですか?


(ホームページを見ながら)72、73年は委嘱していないですね。次は74年の6月。75年はないですね。でもまぁ継続的に続いていたといえるでしょう。
日本フィル・シリーズの説明ページはこちら


○争議中もやってるのか。
●へええ、先輩方がんばったねえ。


さてもう1人、「日本フィル・シリーズ」で大ヒット作を生み出した作曲家がいます。それが三善晃氏。作品は《交響三章》です。近年も日本フィルの定期で演奏しましたね。

○尾高先生の指揮でしたよね。


そうですね。すごくエキサイティングな演奏だったことを覚えています。
三善先生は見た目小柄でとても優しそうなお顔をされているのですが・・・例えばこの曲を聴いて下さい。


三善晃 《祝典序曲》


■ハルサイみたい(笑)


これは《祝典序曲》という曲です。「祝典」という割にはかなり壮絶な響ですねぇ。私は大好きなのですが(笑)


♪ 大音量でまわりからのつっこみが聞き取れません・・・


ここ、歌舞伎っぽい。


♪ 曲終わる


少し三善先生の作風を知って頂いたところで《交響三章》へ。3楽章のシンフォニーという時点でフランスの影響見えますよね。フランクのシンフォニーはその典型。ショーソンやデュカスのシンフォニーも3楽章形式です。そこはフランスで学んだ三善先生ならではですね。この作品も「TroisMouvementsSymphoniques」というフランス語名がついています。


〇私は三善先生というと心優しいピアノ曲というイメージがありますね。


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さて、いよいよ今回の演奏曲目に参りましょう!
矢代秋雄と同じ年に生まれているのが、黛敏郎
矢代先生同様、フランスへと渡るのですが「勉強してくるものは何もない」と言い放って1年で帰ってきてしまいます。
その後アヴァンギャルドの志士として戦後現代音楽界を牽引するスターとなります。
ジャズをも包含したダイナミックなオーケストラ曲や、当時最新の存在だった電子音楽の作曲にも携わります。
例えば当時の作品はこんな感じです


黛敏郎 電子音楽曼荼羅


そして黛先生といえば絶対に外せないのが《涅槃交響曲》です。ちょっと聴きましょうか。黛先生がこの曲でやったことは、京都のお寺の鐘を分析したんです。で、どういう音が鳴っているかと調べて、その時


♪ピアノを叩く


この音が聴こえるっていうんです。ゴーンって鳴った鐘の音を科学的に分析して、近似値を取ったのが、今の音なんですって。


〇へえ。それをアンプしているマスミツ君も、凄いと思う(笑)。


・・・で、この音が実際オーケストラから聴こえてきます。
何が凄いって、この当時黛先生は、この曲を「3人の会」というグループを芥川也寸志団伊玖磨各氏と作って、自費でオーケストラ買い、いわば「作曲リサイタル」をやっていたんですね。しかも、この《涅槃交響曲》の場合はN響使って何度も実験しているんです。天下のN響を買いとって、自分の曲のために実験をする・・・今では考えられない贅沢な話ですよね。


黛敏郎 《涅槃交響曲》 鐘の和音


ほら。


〇ほんとだー!


いろんなところで鐘がなっている京都の風景。音そのものを分析して楽器に演奏させるという方法は今でこそポピュラーな技法(スペクトル楽派)ですが、黛敏郎という人は今からもう54年前に、そういうことをやっていた。今考えるとものすごいことをやってたんですね。題材は仏教で音響は最新鋭。「題名のない音楽会」の司会者、というだけのイメージが大分変ったでしょ?
次にこれが第2楽章


黛敏郎 《涅槃交響曲》 お経の大合唱


〇声明だ。


これはオーケストラが客席にも載っていて、山からお寺の声明の音が四方八方から聴こえる状態を、実際の生のオーケストラで生み出したんですね。


サウンドスケープみたいね。


今回の演奏会の《弦楽のためのエッセイ》という曲は、ちょうど1963年に書かれました。弦楽器による雅楽的のような響きがとても特徴的です。


黛敏郎 弦楽のためのエッセイ


〇アジアの映画に出てきそうですね。


なるほど。彼のオーケストラ作品で《舞楽》というバレエ音楽があるのですが、この曲の冒頭と《エッセイ》はとても近しいものを感じます。彼の弦楽四重奏曲でも同じような響を聴き取ることが出来ますよ。


黛敏郎 弦楽のためのエッセイ


ピツィカートの音が、鞨鼓っていうのかな、ポンって音に聴こえる。
そんなに変な特殊奏法をしているわけではないし、スル・ポンティチェッロとかポルタメントはあるけれど、雅やかな和の雰囲気を味わって頂けると思います。
黛さんの曲は基本的には《涅槃交響曲》、《曼荼羅交響曲》、《舞楽》、オペラ《金閣寺》のような絢爛豪華な響がイメージに有るけど、《エッセイ》は弦楽器しかない。リズミックでもない。モノクロームな世界の不思議な作品です。

その2に続く