一緒にオケを聴こう。第1弾 東京定期 その3
オケ公演担当者。
日本フィルでは企画制作部と呼ばれるこの不思議な人種より
「一緒にオケを聴こう」
いよいよ語りは、ブルックナーの「版」の話へ。
そっかー高関さんのYou Tubeインタビューの前に、
これ知らないと、分からない。
高関さんのインタビューを読む前に知っとく「版」の話。
担当:・・・で8番の話。今回やるのは1890年の版をやるんですが、もともと彼は1887年に第1稿をつくっているんですね。
それを弟子で指揮者のレーヴィに作品の評価をお願いしたところ、レーヴィは譜面を見てこれは駄目だと。
で、ブルックナーはこの第1稿に関してすごく自信があったから凹んだんだけども、仰せのとおりっていうので譜面をつくりかえたんですね。
それが1890年、第2稿。
ただし、もっとややこしいことに実際初演するときには、弟子たちがもっとそこに手を加えてしまって、改竄版(かいざんばん)って呼んでるんですけれど。
弟子って、弟子のくせにでしゃばるねえ。
出しゃばるんですよ。
弟子にも結構大御所がいて、フランツ・シャルクとか。ブルックナーって結構素朴なおじさんなんです。ブルックナーの顔ってみたことあります?CDブックにはないなあ・・・
(と、さっさと取りに行ってしまう。ほんとに色々な動きが「さっさと」してるのです。)
(持ってきたグローヴの音楽辞典を広げて)こんな格好ですから。
たしかに素朴だ・・・
ずっと一生独身を通していて、ウィーンフィルで3番だったかを初演したときにはドンドン観客がいなくなっちゃって、最終的にはほんの数人くらいしかいなかったとか、オケから曲をつきかえされたりとか。かなりいじめられたんですよ。
ただ勉強熱心だったし、オルガンはちゃんと弾けたんだけど。
でもエネルギッシュな音楽作ったのね。弟子にもやり込めらながら。
・・・いい人だったんでしょうね。
改竄版にかんしては、今の指揮者はほとんど使う事はないですね。1887年版に関しても第1稿ってことであんまり演奏する機会はない。
今回日本フィルが演奏する1890年版はこれまたややこしい話が。
ロベルト・ハースっていう人が、1890年版をもとに、譜面を作りました。
とは言ってもハースは1887年版をある程度咀嚼したんです。弟子たちがいろいろ言ったせいで1890年版ができた、ってことはやっぱり1887年の方にブルッナーの真意はあるのではないかと、ハースさんは、考えた。
だから、90年版を底本としつつも、87年版から引っ張ってきた部分要素はいくつかある。
それに対して、レオポルト・ノヴァークという人が、1890年の第2稿をおおもとにする、87年版を顧みないというスタンスで譜面を作った。基本的に、全部が全部とは言えないけれど、ノヴァーク版はハース版と比べるとカットされている部分が多いんですね。それを物足りないという指揮者もいるし、それを意味あるカットと言う人もいるし。
だからハース版のほうが長いんですよ。これが楽譜。こっちがノヴァーク、こっちがハース版なの。
こっちにあってこっちにないものっていうのもある。版の違いっていう話を始めると終わらない・・・
やっぱり、こっちを使いますって言ったときにお客様からクレームが来たりするの?
それはないんですけれど、どっちの版を使うかはちゃんと言ったほうがいいですよね。
そんなに版ってことが問題になる作曲家って、他にいるもんですか?
あまりいないと思います。ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーとかはオケ版やらジャズ・バンド版とかの版がいくつもあるけれど・・・
87年版と90年版の違いが分かりやすいところがあるから聴いてみましょう。
(と、さっさとCDをかける)
例えばこれが第1楽章の終わり方。第1主題を繰り返して終わるんだけど。
87年版のここが一番分かりやすい。あきらかに違うから。
・・・90年版とあまり変わらない気がするけど
(にやり)ただし。
大音響
90年稿を知っている僕たちから言うと、なんとなく蛇足かなって気もしなくはない笑
うーん、しつこい
しつこいでしょ?だから嫌われるんだよ。
・・・はあ
まあこういうところが何個か出てくる訳ですよ。主題のつなげ方が不自然だったりね。そこらへん90年稿はだいぶなめらか。
では、最初から聴いて行きましょう!