公演担当者と一緒に、オーケストラを聴こう。第2弾マーラーの巻 その10

その10。で、ここから大爆発しちゃう。

(まさに、炸裂という感じです。)

■トランペットは本当に大変だね。

完全に勝利ですな。

●待って、何に「勝利」ですか?

まあ、「運命に」でしょうな!
はい、ホルン!
で、問題はここなんです。譜面の652小節目のところから、ホルンがメロディを繰り返すところにマーラーが指示しているのが、「全てのホルン奏者は自己の最大の音量を発揮するためにここから、全員が立ち上がらなくてはならない、必要ならTbとTpが1本ずつ加わっても良い」って書いてあるんだけど、

●立った方が、最大のエネルギーが出るんですか?

ま、ベル(あさがお)が上にあがるからね。でね。ここは譜面を見てもらうとわかるんだけど、今言ったのはこの指示ね。「4小節前からでは決してなく」って書いてあるんです。つまり、最初のフレーズでは立っちゃ駄目だって言ってる。次のフレーズとの間で立て、と。でも、福川さんも言っていたけどこの通りに吹くのは難しい。

▲なんで?

ここでさんざんメロディ吹いてるのに、ここでまた立ち上がって吹き直さなくちゃいけないってのは、タイミング的に間に合わないということ。

▲でも、この時代の人はできたわけでしょ?

いや、出来てないと思う。

▲で、どうするんですか。

指揮者がどう指示するか・・・。それ考えながらここ聴いてみ一回。
多分難しい理由がわかると思うよ。

▲ほんと、無理だね。
(しばらく無言で聴く)

▲何考えてこういう曲書いたのかね。

●書かずにはおれないってことかな。


(曲終了)

何を書いたか、っていうのは面白くてマーラー自身は第3交響曲を書いているときに「私に何者かが憑依した」っていう言い方をしてる。自分で書こうとしたのではなくて、知らない力によって書かされている、と。

▲音楽が降りてきたってこと?

神なのか、音楽なのかは分かりませんが。

●躁鬱な神・・・っていやですねえ。

マーラーはアルマっていうすごい美人のかみさんがいたんですけれど、建築家のグロピウスっていうのと不倫関係になってしまう。それで落ち込んでただでさえ不安定な精神がますます追い込まれてしまった。
仕事ではウィーンの歌劇場で大活躍していたんだけど、マーラーの要求が高くていつも衝突してた。とにかくどこへ行っても完璧主義者すぎた。生涯コスモポリタンで、さすらっていたんですね。心の家が持てなかった。

■翻弄されてまくったわけですね。

よく50歳という短い人生のなかでこんなに長いシンフォニーいっぱい書いたな、って思います。1番が60分、2番が80分、3番が100分かかるの。4番はちょっと短くて50分くらい。5番は75分、6番は下手すると80分越える。7番も80分越える。第8番は、《千人の交響曲》って言うくらい大人数を必要とする曲。9番もCD2枚組にいくことが多い。まあよくやったよねこの人。しかも指揮の仕事はちゃんとしながらね。夏休みの時期だけに、夏のシーズンオフに、別荘で書いたわけ。

ただ、《巨人》を書いた頃のマーラーはまだ健全だったと思う。長調で明るく終わってるし。7番とかになると、一見明るく見えるんだけどものすごく暗いっていう・・・ちょっとね、おかしいの。ハ長調が鳴っているのに健全なハ長調でないというか。なんか病んでるなぁ・・・、という響き方がします。

■死ぬのが怖いなら9曲つくらなきゃいいのに、そういう訳にはいかなかったんだね。

●なんでインキネンでマーラーなんですか?

インキネンの中で今ワーグナーがマイブーム。で、マーラーの音楽というのは、完全にワーグナーの影響があるんです。金管は咆哮し、時間は長い、編成大きい。
そう簡単には出来ない特別な曲だからこそ首席客演指揮者のインキネンと「撰集」という形で取り組みたかったわけ。あとマーラー独特の複雑なオーケストレーションを捌くには、インキネンのような鋭い耳を持った指揮者が必要だったわけで。

●ところで《大地の歌》って、卒業式で歌うやつですか?

それは《大地讃頌》・・・。

■・・・今のブログに書いていい?